MENU

Q&A

アクアマリンQ&A

Q.【経験談】先生ご自身の人生経験を聞かせてください。それをどのように乗り越えましたか?

A.紫婀琉先生

この世に生を受けこれまで沢山の恋愛経験をさせていただきました。
不倫、三角関係、二番手の恋愛、DVや束縛、遠距離恋愛、有名な方との恋愛、年の差の恋愛、そして結婚、嫁姑問題、不妊、離婚…
今回は私の人生の転機となった結婚についてお話しさせてください。

 

 

当時40代だったサラリーマンの主人と出会って運命的に惹かれ合い、トントン拍子で結婚に至りました。
主人と夫婦として新たな人生を歩んでいく、そして人とはちがうこの能力を封印しようと心に決め歩き出した矢先、主人の母である姑が嫌がらせの様に新婚生活に介入する様になり幸せは長くは続きませんでした。
姑は主人の口座の管理をしていて私に手渡されたのはキャッシュカードのみだったので、姑が毎月使ってもいい生活費だけを口座に残す形。
主人に通帳を返してもらってほしいとお願いをしても 『母に任せた方が安心だし生活費がおろせたらそれでいいでしょ?』と聞く耳をもってもらえませんでした。

 

 

ある時、主人が実家へ帰省した時、姑からのメモを持って帰ってきたのです。
そのメモには『その衣類のニオイは社会人としてアウトです!この柔軟剤を使いなさい』と…主人は当初『母が洗う洗濯物は固くていい香りもせず嫌だったから今はいい匂いに包まれて嬉しい』と言っていたので、なんで持って帰ってきたの?とよく喧嘩になりましたが聞く耳を持ってもらえず、いつしか主人が実家へ帰る時だけ姑が用意した洗剤で洗いニオイをチェックしてから荷造りをする事が日課になりました。

 

 

姑の介入で些細な喧嘩が増えていき、その度に主人が姑へ報告していたので『こんなに喧嘩ばかりするならいつ離婚してもおかしくないね。私達は結婚式に行かないから挙げたければあなた達だけでどうぞ』と伝えられ、結婚式も急きょ主人の親族は出席しないという事になり、招待状も出していたのですが主人は姑のいいなりだった為、結婚式はキャンセル…憧れのウェディングドレスも着る事が出来ませんでした。

 

 

自我を抑えざるを得ない生活を送っていたある日、ゴミ箱の中からキャッシングの明細書が見つかりました。
節約しつつギリギリの生活をしていたのに、私の知らない所では限度額までキャッシングをし、相談もなく友人と地元で商売を始めようとしていた事を知り一気に怒りが込み上げてきました。 主人を問い質しても『キャッシングなんて知らない』の一点張りで、終いにはまた姑が介入し私が悪者にされ心身は疲弊していきました。
関係が悪化していく中、子供ができたら私達の関係も変わるかもしれないと希望を持っていましたが、中々子供に恵まれず、検査をしたら不妊治療が必要だと判明し、主人は治療してまで子供は欲しくないと言い、私は我が子を設ける選択すら持てない、我が子の顔を見る事も許されないのか…と涙が止まりませんでした。

 

 

そんなある日、主人の携帯が夜中に何度も光る様になり、ふと気になり携帯のロックを解いて見てみると、結婚した事を隠して女性と甘いやり取りばかりしており、後日主人に確認すると逆上し暴力を奮われ、怖くて震える手で110番を回し警察を呼んだ事もありました。
姑に暴力を受けた事を話すと『うちの息子がそんな事するはずがない。あなたがよほどうちの息子を追い込んだんでしょ?あなたも妻なら家庭を壊すほどの浮気じゃなければ見て見ぬフリをして目を瞑るべきですよ?それに警察に身内を売るような人とはもう一緒に居させられない。別れてほしい』と言われ主人も姑には逆らえず、私は家を追い出されました。

 

 

行くあてもなく実家へ帰る事も許されず、ホステルを転々とする生活…夜も眠れず、食事も受け付けなくなり、みるみる体重は落ちていき摂食障害で入院する事になりました。
私の能力を気持ち悪いと主人に言われ封印してきましたが、入院生活で自然と守護霊さまと対話する時間が増えていき『もう気が付いているでしょう?あなたの進むべき道は私達と共にあるのですよ。いい加減に目を覚ましその能力を必要とする方に使い導いて差し上げなさい』という声が私の下に届いた時、離婚をする決意が固まりました。

 

 

私の能力を封印しなければ主人のマザコンを見抜き、ここまで傷付かずに済んだのではない か…と何度も悔やみましたが、この経験が後に私がより成長する為に出会う人との必須課題だったのだと守護霊さまに教えていただき、この世には無駄なことなど何一つとしてないのだと教えていただきました。
沢山悩み、苦しみ、もがき、その中から気付事もあるのです。 ご相談者さまの心の声を汲み取ることが出来るのは、過去の経験が何一つとして欠けていては成し得なかったことだと、点と点がやがて線になって繋がった瞬間でした。

A.日和先生

私めはご依頼される方からしましたら、年齢的にはまだまだ小娘と受け取られてもしょうがない年齢故、自身の経験を語らせていただくには少々、恐縮なことでは御座いますが、少しでもお役に立てる事を祈って言葉にさせていただきます。
※中には不快を感じたり衝撃的な内容も御座いますので、苦手な方はご遠慮ください。

 

 

重めの経験の羅列的に言えば、
育児放棄、虐め、鬱、夢の挫折、霊障、知人が憑依される、交通事故、不倫、パワハラ、セクハラ、強姦、中絶、借金 etc…
文面では記し難い経験も他には御座いますが、20代までで、大まかにこれくらいの事は経験させていただきました。

 

 

中でも時間的、健康的、金銭的そして今に至るまでに大きな打撃を受けたのは交通事故でした。当時は21歳、新卒で東京の法人に入社して約半年後の職場からの帰り道、横断歩道で車に跳ねられました。
気づいた時は10m程飛ばされており、私を跳ねた乗用車はボンネットはぐっちゃり、フロントガラスはまるでアクション映画のワンシーンのように粉々に割れていました。
私はすぐ様、目を覚まし、話すことや歩くこともできたので大したことないと思っていましたが、「普通だったら死んでいるか脳や神経に異常をきたしている。大人しくしていなさい。」と現場を見た救急隊員や偶然居合わせた看護師が口を揃えてもっと自覚を持つように諭されたのを今でも覚えております。

 

 

搬送先での検査や翌日の精密検査に異常は見られず、安心していたのですが2週間後に異常をきたし、再検査するも原因は不明でセカンドオピニオンを繰り返しました。
結果、脳脊髄液減少症と診断されましたが当時も現在もこの病気は認知度も国の信頼も得ていない為、保証は降りませんでした。
また、加害者の方が無保険だった為、保証に制限があり裁判で3年半ほど戦いましたが貴重な20代前半の2年半寝たきり生活の代償は300万円程でした。

 

 

当時は認知度の低さと目に見えて具合が悪そうに見えない為、家族や職場、友人からの理解も得られず肉体的にも精神的にも苦しく、
『なんであの時あのまま殺してくれなかったのか?』
『私はなんでこんな生き地獄を味あわなくてはいけないのか』
と何度自殺を測ったか知れない程でしたが、加害者が無保険だったこと、損保側が若い女性と舐めてかかって来てくれたお陰で法律関係や保険、保証、労災などの知識を自ら吸収していった時、突然気づきました。
〔この世の中は知識がないとこんなにも損をするのか。これは負けちゃならんな。〕
と。

 

 

そして、当時は社員寮だったので実家に帰省したところ良い医師にも出会い、無理をしなければ普通に生活を営むまでに回復する事が出来、健康の有り難みと金銭の大切さをしみじみと痛感いたしました。
結果的には当時の職場は退職しましたが、上記の大切さを噛みしめながら過ごしていると様々な縁が入り込み、今の鑑定士としての仕事をする礎となる方ともご縁いたしました。
そして、鑑定士としてのスキルを身につける為の勉強の中、[強制的にそうせざるを得ない時期]と交通事故の時期が一致したのです。

 

 

 

当初は『負けたくない』という思いで食いしばっておりましたが、ふと振り返ると
[この経験がなければ人の痛みに寄り添う事は出来ない]
[健康とお金の大切さを知る]
[縁の廻り方と縁の点と点を結んで面にする見方]
etc…

 

 

という大きな気づきを得られたことに気づきました。
長い前置きでしたが、読んでくださった方に何を伝えたかったのかと申しますと、[その時は大変でもそれは何かに気づく為の布石であり、タイミング]という事。
そして、それに気づくためには[我武者羅に乗り越える事と見る視点を変えること]縁を巡らせたかったら[いかに今の置かれている状況が有難い事と噛み締める事ができるか]
という事です。目の前の小さな幸せを噛み締めた時、それは世界が大きく変わるひとときなのかも知れません。

 

 

長くなりましたが、私の人生の1ページをここまで読んでくださり有り難うございました。
少しでも、あなた様の気づきになる事を祈っております。

A.伽羅先生

子どもの頃から健康優良児で「学校を休んで連絡帳を友達に届けてもらうのが夢」だった小学生時代を過ごし、大人になると健康保険料が引かれている給料明細に「病院なんて行ってないのに」と不満を募らせるほど、健康面に対する悩みはありませんでした。

 

 

ところが20代も終わりに差し掛かった時、若い頃の荒れた食生活や、パワハラを含めた仕事上でのストレスが重なったのか、因果応報。原因不明の咳や腹痛、そして嗅覚障害、アレルギーと一気に体調を崩しました。
病院を何件も回り、検査をしても「異常なし」との診断。病名もつかず、治療法もなく、夜になると呼吸困難や、内臓を掴み抉られるような腹痛に襲われる日々。見かねた家族によって夜間病院に搬送されることも数えきれないほど。
当然、診察代もかかり、深夜加算もされ、連日、数千円単位でお財布からお金が消えていきました。「病院に行っていないのに」と募らせていた不満が、今度は「医療費を払うために働いているのか」という嘆きに変わるとは、何とも皮肉なものです。通常、朝には治り、夜通し苦しんだ疲労と睡眠不足もそのままに出勤していましたが、通勤電車で体調を崩し、他の人の迷惑にならないよう必死に耐える日々。
中には、夜間病院では手に負えないと別の病院に移り、そのまま入院することになりましたと会社に報告することも増え、職場での席がなくなるのではないかという恐怖を抱えることもありました。

 

 

そして、もう何件目か分からないある病院で告げられた病名は「自己免疫疾患」のひとつでした。
自分の免疫が、自分を攻撃し、原因は不明で治療法も対症療法のみ。当時医者からは「難病指定すれば医療費は抑えられます。ですが、難病持ちというレッテルを貼られることにもなりかねません。嫁入り前のお嬢さんなので、親御さんとも話し合って決めてください。」と告げられ、結婚願望もあった私はパニック状態に。
彼氏はいませんでしたので、今後男性と付き合うにあたっては、「やはり伝えないといけないことなのか?それは付き合う前に、それとも付き合ってから?難病持ちというのはやはり敬遠されるのだろうか?それを理由にフラれてしまったらどうするのか?」と体調だけでなく精神面でもかなり自分を追い詰めてしまいました。
今振り返ると、極端な思考だなと思えるのですが、当時は得体の知れない恐怖と不安に苛まれていました。

 

 

そんな時、たまたま本屋で見かけたのが「薬膳」と書かれた、東洋医学をベースにした食事療法の書籍でした。
この三次元の世界を強く生きるためには、魂の入れ物であるボディは健康でありたい。
自分に課せられた病はあっても、その中で最大限健やかにありたい。そう思って師を持ち、自身でも体質改善にも取り組みました。

 

 

体、心、魂は、繋がってることを実感しています。魂の入れ物である自分を大切にすることは、運を開き上向けにする。自分を愛することに繋がります。
私の場合は、自分を愛していった先に、自分を愛してくれるパートナーと出会いましたが、お客様の中には、天職に出会った人や、モテ運が上がり愛され体質になった人もいます。
自分を愛すること、土台をつくること、これは、地に足のついた安定的、継続的な幸せを手に入れるためには必須条件と伽羅は考えます。

 

 

いわゆる「自愛」ですね。
もし、「自分を愛する、がよく分からない」「具体的にどうすればいいの」という時は、伽羅にお電話ください。
自分からも、好きな人からも「愛し愛される私」を一緒に目指しましょう。